磯崎新が
Prittzker Awardを
2019に取った意味
Written by Issui Shioura
磯崎新さん2019プリツカー賞受賞!!
※プリツカー賞とは建築界のノーベル賞みたいなものです。
本当に祝福すべきクリティカルな受賞。
今この時代にパブリック目線でも再発見される意味があるという審査員の意図を感じ大きな流れを感じざるを得ないです。建築界はまた本当のアーキテクチャを知る事になり、メタからマクロ、マクロからミクロ、都市から身体を行き来する事にフォーカスされ1つ階層が上がった目線を持つ時代が来ると僕は希望的な観測をしてます。
磯崎さんは丹下健三さんへの弔辞で建築の定義をこう言ってます。
”建築することとは、単に街や建物を設計することではない、人々が生きているその場すべて、社会、都市、国家にいたるまでを構想し、それを眼に見えるよう組みたてることだ。”
そしてAny会議の一部をまとめた「ビルディングの終わりアーキテクチャの始まり」という本で建築の定義をこう表現していました。
“身体の外側に広がる波動が宇宙を満たす波動と相互干渉して、析出した輪郭が建築である。その初期的な現象が身体を取り巻くオーラであり、それが視覚化されると光輪や光背となる”
建築家である磯崎新が見ていた建築が、身体というメディアと環境とをアフォーダンスとして切った生態環境学者のギブソンほど科学的で、演出家の鈴木忠志のようにレゾリューションが高く、コールハースほど分析的で、荒川修作ほどラディカルでバックミンスターフラーより楽観的で、ブルーノムナーリほどユーモアがあり、稲垣足穂ほどポエティックで、坂口恭平ほどのカリスマがあるという衝撃があり、僕は磯崎新という建築家によって建築に最初魅了されたのです。
話したらきりが無いですが僕が最初に衝撃を受けたのは「都市破壊業KK」という建築詩となにより「孵化過程」という僕目線メタパンク建築評論誌的な文章でした。(磯崎さんは言語がやはり上手い)
孵化過程と未来都市と廃墟のイメージのコラージュ作品は、メタボリストによって開催された「未来の都市と生活」展(1962)で発表されています。
「すばらしい未来の生活」を示す場所で磯崎さんは「『未来都市は廃墟だ』と記し美術的にメタ的にアバンギャルドで最先端なメタボリズムすらもその場で切った。
その時にコラージュとともに発表した作品、「孵化過程=ジョイント・コア・システム」は、1962年当時の東京の写真をキャンバスに見立てて、その上に「不確定な他者の介入によって発生する都市の生成がアクションペインティングでシュミレーションされる」という、世界で初めて他者としてのオーディエンスの自発的な参加による作品でした。
“磯崎にとっての都市とは、予定調和的に出来上がるものではなく、常に変動のプロセスにあり、完成した姿を見せることがないもの。磯崎の建築において重要な概念となっている「プロセスプランニング」は都市のデザインを構想している中で着想されたものです。
「建築とは、不確実で決定が不可能な条件下で、デザインを進行させることであり、想像の中では、有機物のように伸縮している。それをある瞬間にぶった切らねばならない。デザインの決定とはそんなものだと考えた。するとその切断面に伸縮する全過程が露出する。」 こうした意味では、メタボリズムと時期を同じにしながらも、思想的、手法的に、磯崎の建築は異質なものとして存在することになります。”
-Asian cultural council より引用
なんという破壊的で楽観的な衝撃。
アーキグラムやメタボリズム、スーパースタジオやコンスタントとも違い、ペーパーでもリアルでもなくメタ。
ユートピアはまさに存在しない桃源郷とし、過程こそが全てであると言い切る強さと柔らかさ。
その上でアーキテクチャを作らなければならず、どこで切断し断面図を作るがデザインでありスタイルであると。
まさにその通りで言うのは簡単なのなのだが、そんな建築家が建築界のトップに君臨しているという事実。
孵化過程を目の当たりにした時磯崎さんはどう都市を見ていて何を考えてるのか間近で見たくなってバートレット卒業後のyear outで磯崎さんのアトリエで働きたいと思ったのです。(磯崎さんか坂口恭平さんしかいませんでした。)結局一回も会えませんでしたがそういうのはロックがかかっているのでそういう事ですよね。
SAMPOを見てほしいと強く思いますが、きっとタイミングが来るのでしょう。
と磯崎愛を語った上で言うわけですが、都市はまさにこれからなのです。大阪万博のお祭り広場は面白かったけど、日本の都市空間は良く変わったのだろうか?ハプニングはあるのか?アーキテクチャはどこに存在しているんだ?
都市はオンラインでも、VRでもシステムでも、ゲームでもアートでもメタでもない。
紛れもなくリアルだ。
とてこのグローバル資本主義の中ではITのスピードは早い。
だからこそ建築家はそれを全て理解した上でクリティカルにテクノロジーをツールとして軽く使いこなし逆手に取ってマウントを取らないと都市空間は棺桶のブラックボックスとオンラインという2つのメッシュのギャップだけが広がるだけだ。ARやポケモンGOで都市空間が変わるなんて建築家が言ってはいけない。ライフはどこだ?ジョイはどこだ?
最早都市はツリーどころかセミラティスでもなく、フラクタルな表層から深層までをエレベーターで行き来できる玉ねぎレイヤー構造であり積層される複雑な”ライフ”の集積なのだ。
バートレット出身で磯崎アトリエ出だからこそアンビルドもメタをもそれを凌駕する超ビルドをそこに孵化していく。アカデミズムはバックエンドで良い、都市のフロントはまさに都市に住む全ての個人がエージェントなのだから。人々を頭数として数え都市をGPSで分析し3D scanningでアーカイブする時代は終わるを迎える。
だからこそこれからの都市を建築する一プレイヤーとしてフラットに何かゲームではなく本当に何をしなければいけないのか話して一緒に出来たらと思います。
Pritzkerprize.com 過去作品一覧
https://www.pritzkerprize.com/laureates/arata-isozaki
Architecture photo net
動画まとめ
https://architecturephoto.net/75377/
孵化過程
https://www.asianculturalcouncil.org/japan/【exhibition】磯崎新さん、「過程-process」/